■ 死後の世界ー1(神の選びと計画)

日本基督道場
2019年2月2日(土)
発行元 日本基督道場 徳恵禎信 Copyright©2014
メール information@nipponnkirisutodoujou.com

―――――――――――――――――――――――

死後の世界-1(神の選びと計画)
―――――――――――――――――――――――

私の兄は戦前にお腹に寄生虫が溜ってそれが原因で五歳の時亡くなりました。もちろん五歳ですからまだイエス・キリストを信じることなく亡くなりました。私の姉は戦時中に三歳の時栄養失調で亡くなりました。もちろん三歳ですからまだ聖書の神様を信じることなく亡くなりました。今でこそ、公的な社会福祉が整備されているのでお金が無くてどうしようもない時は行政に駆け込めば行政がなんとかしれくれて生き延びることが出来ますが、戦前は公的な社会福祉などほとんど無い時代でしたから、貧乏な家庭では子どもが栄養失調で亡くなるなんてことは珍しいことではありませんでした。


さて、みなさん、考えて下さい。私の兄と姉は天国に行ったのでしょうか? それとも地獄に行ったのでしょうか?

みなさんご存知のように日本人は神社、仏閣などの偶像をごく普通に当たり前のように拝む国民ですから、日本のクリスチャンは両親がノン・クリスチャンの家庭で育った一世のクリスチャンが多いと思います。クリスチャンの両親のもとで生まれ育った二世のクリスチャンはキリスト教界では少ないでしょう。これがさらに両親、おじいちゃん、おばあちゃんがクリスチャンの家庭で育った三世、三代目のクリスチャンとなると希少的なクリスチャンですよね。

 

さて、初代クリスチャンのみなさま方、ご両親が、おじいちゃんおばあちゃんが、イエス・キリストを信じることなく亡くなったらどうしますか? 心が痛みませんか? よほど両親が大嫌いで喧嘩ばかりしていて「ははは!クソ親父、ついに死んで地獄に行ったか。ざまあーみろ!」という方は別ですが、両親がイエス・キリストを信じないまま亡くなったら、ほとんどのクリスチャンは「うちの両親は天国に行ったのか? 地獄に行ったのか?」悩むと思います。また、今までみなさんが生きて来た人生の中で、両親をはじめ近所の方、学校でお世話になった先生方、職場で自分に良くしてくれた上司や先輩等々、いろいろな方々の愛のある配慮によって今日の自分があるはずです。それは牧師も同じです。そのお世話になった方々が聖書の神様を信じなかったためにそのまま地獄に行くとしたら、みなさんどう思いますか? 「それはしょうがない。自分が信じなかったその人の自己責任よ」と言って割り切れますか? 納得出来ますか? おそらくほとんどのクリスチャンは「心情的」に割り切れないはずです。納得出来ないはずです。少なくともクリスチャンはノン・クリスチャンと比べて愛や憐みや人々に対する思いが強いので、だからこそ、愛のゆえに、憐みのゆえに、心情的に割り切れないはずです。納得出来ないはずです。だから亡くなった両親を前に「私の両親は死んで天国に行くのか? 地獄に行くのか?」悩みます。一般的にキリスト教会では「イエス・キリストを信じて罪が贖われた者だけが天国に入り、イエス・キリストを信じない者は地獄に行く」と教えていますから、また聖書にそう書いてあるので、当然、私の兄と姉はイエス・キリストを信じることなく死んでいったので、神にさばかれて地獄に行くことになります。同様に0歳や3歳で神を信じることなく亡くなった赤ちゃんや幼子も地獄に行きます。だって教会では「イエス・キリストを信じて罪が贖われた者だけが天国に入り、イエス・キリストを信じない者は地獄に行く」と教え、また、実際に聖書にそう書いてあるのですから。繰り返し申し上げますが、一般的にキリスト教会では「イエス・キリストを信じて罪が贖われた者だけが天国に入り、イエス・キリストを信じない者は地獄に行く」と教えています。ですから単純にその理屈を当てはめれば私の兄と姉は天国に入れず地獄に行く、ということになります。生後一週間で亡くなった赤ちゃんも当然地獄に行くことになります。生後三か月で亡くなった赤ちゃんも地獄で永遠の火で焼かれて永遠に苦しむことになります。だってイエス・キリストを信じることなく死んでいったのですから。聖書の神様って、怖い神様ですね。キリスト教会で教えている神様って、非情で、惨忍で、残酷で、残虐で、無慈悲な神様ですね。どこが「神は愛」なのでしょうか? だってまだ自らしゃべることも出来ない生後一週間の無垢な可愛い赤ちゃんがイエスキリストを信じることなく亡くなったら「お前はイエス・キリストを信じなかったのだから永遠の刑罰に処する。火と硫黄の池にぶち込んでやるから、永遠に苦しみの中でもがいていろ!」と言っているのですから。あれ? そう言えば、イエス・キリストが生まれた後に、ヘロデ王が東方の博士たちに騙されたことに怒ってベツレヘムとその周辺の二歳以下のすべての男の子を殺しましたよね? あの殺された二歳以下の子どもたちもイエス・キリストを信じることなく死んでいったのですから、当然、地獄に行って永遠に苦しむことになります。うわわ!!!聖書の神様って怖い神様ですね。えっ? そんなことないって? いや、だってキリスト教会でそう教えているじゃないですか。「イエス・キリストを信じる者だけが天国に行き、信じない者は地獄に行く」って、教えているじゃないですか。

私の兄と姉はイエス・キリストを信じることなく病気で亡くなりました。キリスト教会では「イエス・キリストを信じて罪が贖われた者だけが天国に入り、イエス・キリストを信じない者は地獄に行く」と教えていますから、単純にその理屈を当てはめれば、私の兄と姉は天国に入れず地獄に行く、ということになります。では、みなさんは聖書の教え通り、私の兄と姉は地獄に行ったと思いますか? あるいはイエス・キリストを信じることなく亡くなった生後三か月の赤ちゃんはそのまま地獄に行くと思いますか? クリスチャンの夫婦でも、病気や事故で自分の赤ちゃんや子どもがイエス・キリストを信じることなく亡くなったケースがあるでしょう。これはとても大事なことなので真剣に考えて下さい。

おそらくほとんどの方が「??????よく分からね~な」と答えるのではないでしょうか。分からなければ教会の牧師に聞いて下さい。この質問にちゃんと答えられない牧師は聖書をよく読んでいない牧師です。この問題に関して明確に答えられない牧師は牧師でありながら自分が死んで天国に行くのか地獄に行くのかよく分かっていない牧師です。私たち社会人が朝早くから夜遅くまで懸命に働いている傍らで、神学校を卒業して牧師として任命されて朝から晩まで聖書のお勉強とお祈り三昧の生活を何年、何十年とやって来ているのですから、生後三か月でイエス・キリストを信じることなく亡くなった魂は天国に行くのか? 地獄に行くのか? 聖書から明確に答えられないはずがありません。

この問題に関してはいろいろな解釈、議論があります。ある牧師は聖書の言葉を引用して「イエス・キリストを信じる者だけが天国に行き、信じない者は地獄に行く」と教えています。確かに聖書にそう書いてあります。聖書ははっきりと天国と地獄の存在を教えています。だったら、その牧師は「神様は厳格な方で神の言葉に嘘、偽り、誤りはありません。神の言葉は絶対です。ですから幼子だろうが赤ちゃんだろうがイエス・キリストを信じない者は容赦なく地獄に落とされて永遠の火で焼かれて苦しみことになります。だって聖書にそう書いてあるのですから」と、講壇から語って下さい。教会のパンフレットに書いて近所に配って下さい。伝道会で説教して下さい。もし、「いや、それはそうなんだけど、神は愛の神ですから、憐みの神ですか、小さいうちに亡くなった方は天国に入れてくれるんじゃないのかな?」と言っている牧師がいたら、イエス・キリストを信じなかった赤ちゃんは何を根拠にして天国に入れるのか? 聖書から語って下さい。
聖書が言っていることは一つです。「イエス・キリストを信じる者だけが天国に行き、信じない者は地獄に行く」これは紛れもない事実です。聖書にそう書いてありますから。問題は、「いつ、どこで」信じるかです。「何時、何処で」信じるかです。「どの時点で、どの場所で」信じるかです。聖書には「この地上で生きている間に信じなければダメです」とは書いていないのです。イエス・キリストも「生きているうちに神を信じなければ天国に入れません」とは言っていません。これも紛れもない事実です。おそらく、ほとんどの牧師をはじめクリスチャンは、「生きている間にイエス・キリストを信じなければ天国に入れない」という思いが先行して「イエス・キリストを信じる者だけが天国に行き、信じない者は地獄に行く」という聖書の教えを理解しているので、先に述べたまだ何も分からないしゃべることも出来ない赤ちゃんや幼子が亡くなったら天国に行くのか? 地獄に行くのか? はっきりした答えが掴めないのです。聖書の教えと自分の感情が一致しないのです。漠然とした思いで納得出来る答えが出て来ないのです。もう一度言います。問題は「いつ、どこで」信じるかです。「何時、何処で」信じるかです。「どの時点で、どの場所で」信じるかです。聖書には「この地上で生きている間に信じなければダメです」とは書いていないのです。これは屁理屈ではありません。こじつけでもありません。それは聖書全体を読めば分かります。では、生きているうちに信じることが出来なかった人は、どこでイエス・キリストを信じるのでしょうか? 私の兄と姉はどこでイエス・キリストを信じればよいのでしょうか? まだしゃべることも信仰告白も出来ない生後三か月の赤ちゃんはどこでイエス・キリストを信じればよいのでしょうか? 答えは「死んだ後」です。「よみ(黄泉)」です。「ハデス」です。
イエス・キリストは弟子たちに繰り返し繰り返し、何度も何度も、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる」(マルコの福音書9:31)と弟子たちに仰せられました。実際にイエス・キリストは十字架で処刑されて死んで、三日目に甦りました。では、死んで甦るまでの三日間、キリストはどこに居たのでしょうか? 三日の間、キリストの霊はどこに在ったのでしょうか? その答えが「よみの世界」です。「ハデス」です。よみの世界に何しに行ったのでしょうか? なんのためにハデスに下ったのでしょうか? 答えは「福音を述べるため」です。もし、「人は生きている間に神を信じなければ救われない」とするなら、死んで直ぐ神によって裁かれ直ぐに天国と地獄に行けばいいことです。ところが聖書には古く旧約時代からなんかよく分からないけど「死後の世界」についていろいろ書いてあるのです。今回は聖書が語る「死後の世界」について考えたいと思います。その前に、誤解のないように、一つ大事なことを申し上げます。これから私が述べることはいわゆる「セカンド・チャンス」ではありません。「万人救済論」ではありません。「セカンド・チャンス」とは、人は死んだ後に、よみに下って、もう一度、救いのチャンスが与えられる、という考え、神学です。もし、死んだ後にもう一度救われるチャンスがあるならば、ヒトラーも、皇帝ネロも、麻原彰晃も、どんな悪人と言われる人たちも、天国に入れるということになります。どんな悪人も死んだ後にもう一度天国行きのチャンスが与えられて「お前ら、これが最後のチャンスだぞ。イエス・キリストを信じて天国に行くか、それとも信じないで地獄に行くか、どちらを選ぶ?」と問われたら、そりゃ~みんな「はいはい、イエス・キリストを信じて天国に行きます~♪」って言うに決まっているでしょ。悪人じゃなくても真面目な普通の人もみんなイエス・キリストを信じて天国行きを選ぶに決まっています。永遠の苦しみを選ぶか、永遠の極楽を選ぶか、選択しろと言われたら、どんな悪人もみんながみんな永遠の極楽を選ぶに決まっているでしょ。小学生でも分かることです。つまり万人がイエス・キリストを信じて天国に行くことになります。地獄なんか必要ありません。だとした、この地上で迫害を受けながらも神を信じている人々の信仰の意味が無くなってしまいます。キリストのゆえに殉教した人々の血が無に帰することになります。私たちクリスチャンの存在意義が無くなります。神がそんなことするはずがありません。そもそも「セカンド・チャンス」や「万人救済論」は聖書全体を読めば神の救いに対して明らかに矛盾する考え、神学です。ですから「セカンド・チャンス」なるものはありません。私が言っていることは「本来、世の初めより救いに選ばれていのちの書に名が記されている人々が、人類を救うための神の計画によってこの地上での救いに漏れてしまったので、そのような人々の救いの完成のために、よみでイエス・キリストの福音を聞いて救われる」という意味です。これを仮に「選民救い論」と呼称します。神によって救われた人々は「世の初めより神によって救いに選ばれてその人の名がいのちの書に記された人々」なのです。私たちクリスチャンは「世の初めより神によって救いに選ばれてその人の名がいのちの書に記された人々」なのです。つまり、神の救いは「世の初めより神によって救いに選ばれてその人の名がいのちの書に記された人々」という「大前提」があります。この「世の初めより神によって救いに選ばれてその人の名がいのちの書に記された人々」という「大前提」が抜けたまま死後の世界を議論するから混乱します。訳が分からなくなって来ます。ではここで簡単に聖書の言葉を引用して私が言わんとする「選民救い論」の概念を説明します。
ヨハネの黙示録に天国に行くか地獄に行くかの最後の審判の光景がいくつか書かれています。

ヨハネの黙示録3:5
3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。

ヨハネの黙示録13:8
13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。

ヨハネの黙示録17:8
17:8 あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現れるのを見て驚きます。

ヨハネの黙示録20:12~15
20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。
20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。
20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

ヨハネの黙示録21:17
21:27 しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。

ヨハネの黙示録に書いてある通り、「いのちの書」に名前が書いてある人だけが、天国に入れます。ですから「いのちの書」に名前が書かれている人々が、イエス・キリストを信じて救われた人々です。「いのちの書」に名前が書かれていない人々は、イエス・キリストを信じなかったので救われていない人々です。では、クリスチャンは、いつ、どの時点で、「いのちの書」に自分の名前が記されたのでしょうか? 普通に考えれば「イエス・キリストを信じた時点」と思うでしょう。しかし聖書はそうは言っていません。ご覧の通り「世の初めから」と書かれています。この「世の初めから」という言葉が、死後の世界を考える上での重要なキーワードとなります。この「世の初めから」という言葉の意味については後で詳しく説明しますので、ここでは「自分が生まれる前から」と理解して下さい。ですから分かり易く説明すると、たとえばAさんが伝道会でイエス・キリストを信じて救われたとします。それを先ほど引用したヨハネの黙示録の御言葉に当てはめると、


Aさんはあるとき伝道会で福音を聞いて

イエス・キリストを救い主として信じて救われて

白い衣を着せられて

  空白だった「いのちの書」にAさんの名前が記されて
                ↓
神の最後の審判でイエス・キリスト御自身が神と御使いたちに向かってAさんの名前を「いのちの書」から読み上げたので
                ↓
         Aさんは天国に入りました。


となります。しかし、これは一見正しいように見えますが、実は間違っています。みなさん分かりますか? 「世の初めから」という「前提」が抜けています。聖書が言っていることは、


神が世の初めよりAさんを選んだので

Aさんはあるとき伝道会で福音を聞いて

イエス・キリストを救い主として信じて救われて

白い衣を着せられて

神の最後の審判でイエス・キリスト御自身が神と御使いたちに向かって予め書かれてあるAさんの名前を「いのちの書」から読み上げたので


Aさんは天国に入りました。

 

となります。

これが正解です。クリスチャンは自分が生まれる前からすでに神の御心によって救いに与るように選ばれていたので、その結果として、この地上で生きている間に福音を聞いて信じて救われたのです。つまり私たちクリスチャンの救いには「世の初めより神によって選ばれていた」という「大前提」があります。私たちは、まず、自分の意志で神を信じて、そして空白の「いのちの書」に自分の名前が記されて、それで天国に入ると思っています。しかしそうではありません。自分がこの世に誕生する前に、すでに神の御心によって救いに選ばれて、やがてこの世に誕生して救いの時が来たので御霊の導きによってイエス・キリストの贖いを信じて救われて、死んで神の法廷に立たされたときにイエス・キリストがすでに「いのちの書」に書かれてある自分の名前を読み上げられたので、それで天国に入るのです。この「世の初めより神によって選ばれていた」という「大前提」となる言葉が、パウロによってエペソ人への手紙に書かれています。

エペソ人への手紙1:1~12
1:1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。
1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
1:6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
1:7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
1:8 この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、
1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、
1:10 時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。
1:11 この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。
1:12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。

4節、5節に私たちクリスチャンが「いつ、救われたのか?」が書かれています。

1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。

「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、」「神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」すなわち、私たちクリスチャンの救いは「世界の基の置かれる前から、彼(イエス・キリスト)にあって選ばれ、(神の)みむねとみこころのままに、愛をもってあらかじめ定められていた」のです。私たちクリスチャンの救いは私たちがこの世に誕生する前からすでに「神によって定められていた」ということが大前提にあります。「神によって定められていた」というバックボーンの中で、この世で救われたのです。みなさんが救われる前にどのような動機で教会に行って福音を聞いたのか、あるいは他の方法で福音を聞いたのかは私には分かりませんが、教会に行く前から、福音を聞く前から、すでに神の導きがありました。クリスチャンはこの世に誕生して福音に接して救われるまでの人生の中で、たとえそれが良いことでも悪いことでも、そこに神の導き、神の支配によってすべての状況が設定され、救いへと導きかれて来ました。それはすべて「神の御計画」によるものです。

ローマ人への手紙8:28~30
8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

29節と30節に「あらかじめ」という言葉があります。この「あらかじめ」とは「世の初めより」と同じ意味の言葉です。「私たち人間がこの世に誕生する前」という意味です。私たちクリスチャンは世の初めよりすでに神に召され、私たちの救いはすべて世の初めより神の計画の中にあり、その計画を実現するために、神はすべてのことを働かせて益とします。「すべてを働かせて益とする」とは、私たちの人生のすべてを用いて罪人なる人間を御子イエス・キリストのように形作り、御子イエス・キリストが私たちの長子となるためです。世界の国々の中で、日本人の私たちは、なぜ、日本という国の、日本人の両親の下で、生まれて来たのでしょうか? これは、「偶然」ではありません。すべて、神の計画の中にある「必然」です。みなさんがイエス・キリストを信じて救われたのも「偶然」ではありません。神の意思による「必然」なのです。
イエス・キリストがこの世に誕生した時、ヘロデ王によってベツレヘムとその近辺のすべての二歳以下の男の子が殺されました。このヘロデ王による幼子たちへの虐殺はすでに旧約時代のエレミヤによって預言されていました。そして子どもたちが殺されたことによってヘロデ王はキリストは死んだのだと思い、夢に現れた主の使いの啓示によってエジプトに逃れたヨセフとマリヤと幼子イエスがそれ以上ヘロデ王に追及されることはありませんでした。ですから結果的に多くの二歳以下の男の子たちの命の犠牲によってキリストは助かりました。このキリストを助けるために命の犠牲となった二歳以下の男の子たちは、先ほど引用した御言葉にあるように「神のご計画に従って召された人々」です。だから前もって神はエレミヤをはじめ旧約時代の預言者にこの事件の預言を与えました。

マタイの福音書2:1~23
2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
2:3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
2:4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
2:6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」
2:7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
2:8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
2:9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
2:12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。
2:13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
2:14 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、
2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。
2:16 その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。
2:17 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。
2:18 「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」
2:19 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現れて、言った。
2:20 「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」
2:21 そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に入った。
2:22 しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。
2:23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。

その前のマタイの福音書1章23節もイザヤによって預言された御言葉です。

マタイの福音書1:18~25
1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
1:19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。
1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
1:24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
1:25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

処女マリヤから救い主イエス・キリストが生まれることはすでに神の御計画の中にありました。
イエス・キリストがユダのベツレヘムで生まれることはすでに神の御計画の中にありました。
ヨセフと赤子のイエスを抱いたマリヤがエジプトに逃れることはすでに神の御計画の中にありました。
ヘロデ王によってベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子たちが殺されることはすでに神の御計画の中にありました。
ヨセフとマリヤとイエス・キリストがナザレの町に移り住むことはすでに神の御計画の中にありました。
キリストの誕生からナザレ人イエスと呼ばれるまでのすべての出来事は神が人類を救うための御計画によってなされた出来事です。だから神は前もって旧約時代に預言者エレミヤをはじめ数々の預言者にキリスト誕生の預言を与えました。「預言」は神が定めた救いの計画を行うための「印(しるし)」です。ですからヘロデ王に殺された二歳以下の男の子たちは「神のご計画に従って召された人々」なのです。「世の初めよりいのちの書に名を書きしるされた者たち」なのです。だから、当然、ヘロデ王によって殺された二歳以下の男の子たちは神の審判の日にはイエス・キリストによって「いのちの書」から名前を読み上げられて天国に入ります。子どもたちを殺したヘロデ王は神によって裁かれ永遠の刑罰を受けます。そして殺された子どもたちの両親は天国で殺された子どもたちと再会します。だからいつまでもヘロデ王の悪に怒ることはないのです。エレミヤの預言に書いてあります。

エレミヤ書31:15~17
31:15 【主】はこう仰せられる。「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている。」
31:16 【主】はこう仰せられる。「あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。──【主】の御告げ──彼らは敵の国から帰って来る。
31:17 あなたの将来には望みがある。──【主】の御告げ──あなたの子らは自分の国に帰って来る。

16節、17節に【主】はこう仰せられる。「あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。──【主】の御告げ──彼らは敵の国から帰って来る。あなたの将来には望みがある。──【主】の御告げ──あなたの子らは自分の国に帰って来る。と書いてあります。「敵の国」とは「サタンが支配する国」です。ヘロデ王の悪行はサタンの支配の中で行われたことです。しかし、神の御計画はサタンの支配のさらに上を行きます。サタンの支配も神の御計画の中にあります。ヘロデ王に殺された幼子たちはサタンの支配から解放されてよみの世界に行き、よみでイエス・キリストの福音を聞いて信じて、神の審判を経て最後は自分の国、すなわち神の国に帰って来ます。だから神は「あなたの労苦には報いがあるからだ。」「彼らは敵の国から帰って来る。」「あなたの将来には望みがある。」と仰せられました。イエス・キリストは山上の垂訓で「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」と宣べられました。この世での、人間の世界での、地上の世界での、サタンに支配される世界での、悲しい出来事には、必ず、慰めと、希望が待っています。すなわち神の国に帰ることです。また、パウロはローマ人への手紙で次のように書いています。

ローマ人への手紙9:1~13
9:1 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。
9:2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。9:3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
9:4 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。
9:5 父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
9:6 しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、
9:7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」のだからです。
9:8 すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。
9:9 約束のみことばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」
9:10 このことだけでなく、私たちの父イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。
9:11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと、
9:12 「兄は弟に仕える」と彼女に告げられたのです。
9:13 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。

イサクの誕生は不妊の女サラからイサクが生まれる前にすでに神の御計画の中にありました。だから神はアブラハム夫婦に「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。」と約束されました。弟ヤコブが長子の権利を受け取ることは、エソウ、ヤコブが生まれる前にすでに神の御計画の中にありました。だから神はリベカがイサクの子をお腹に宿している間にリベカに「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」と仰せられ、また、実際に双子の兄弟がリベカの胎から生まれ出て来る時、弟ヤコブは兄エソウのかかとを掴んでいました。これは、神の御計画のよる「預言」です。11節にその子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと、「兄は弟に仕える」と彼女に告げられたのです。と書いてあります。エソウ、ヤコブが生まれる前から、善も悪も行わないうちに、神はヤコブを長子として選び、その結果、ヤコブは12人の子どもの父親となり、やがて子どもたちは12部族へと独立していきました。神が弟ヤコブを選んだのは「神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるように」という目的のためです。すべては人の行いによらず神の恩恵による人類の救いという目的のための選びです。依怙贔屓ではありません。旧約聖書には多くの「預言」が書かれています。預言は「神による人類の救いの計画」によって預言されます。「預言」と「成就」の間に「神の救いの計画」があります。「預言」は「予言」ではありません。

   預言→目に見えない神の救いの計画→預言の成就

一般に「聖書の預言」というとどうしても「予言」になってしまいます。「いつ、どこで、なにが起こるの?・・・ほら見ろ、聖書の予言が当たった!」と言ってはしゃぎ回ります。大騒ぎします。「神の救いの計画」という預言と成就の間の「プロセス」が抜けてしまいます。預言とその成就はすべて神の御計画の中で連動します。たとえば、ノン・クリスチャンの夫婦に子どもが生まれましたが生後三か月で病気で亡くなりました。しかし夫婦は悲しみながらもそのことをきっかけに友達に誘われて教会に行って神様を信じて救われました。ラケルが殺された子のために泣き叫んだように我が子を失うことはもちろん悲しいことですが、それをきっかけに教会に行って神様を信じて救われて永遠のいのちを受けたなら、「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」というキリストの言葉がその人の人生に成就したことになります。神の救いは「この世の幸せ」を人に与えることではありません。死の彼方にある「永遠のいのち」を与えることです。「体」の救いではありません。「魂」の救いです。ヘロデ王に殺された幼子たちはイエス・キリストを信じることなく殺されていきました。しかし、殺された幼子たちは「神のご計画によって召された人々」です。だから、殺された幼子たちの魂はよみに下ってよみでイエス・キリストを信じて天国に入ることになります。
以上、これが「選民救い論」の概念です。
大分長くなりましたが、大事なことは私たちクリスチャンが救われたのは私たちがこの世に誕生する前からすでに神の選びと人類の救いの計画があって、その神の選びと人類の救いの計画という大きな流れの中で、私たちは救われたのです。そのことを頭に入れておいて下さい。
次に、聖書に書いてある「人が死んだ後に入る世界」として「よみ(黄泉)、地獄、ハデス、ゲヘナ」という言葉が書かれています。この「よみ(黄泉)、地獄、ハデス、ゲヘナ」について考えてみましょう。
初めに「よみ(黄泉)、地獄、ハデス、ゲヘナ」の引用句を列挙します。すべて載せたら大変なので、一部だけ載せます。ちょっと数がありますが、サッと目を通して下さい。

よみ(黄泉)、地獄、ハデス、ゲヘナに関する御言葉

旧約聖書に記されている「よみ」(赤字)の箇所の一部

創世記37:31~35
37:31 彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎをほふって、その血に、その長服を浸した。
37:32 そして、そのそでつきの長服を父のところに持って行き、彼らは、「これを私たちが見つけました。どうか、あなたの子の長服であるかどうか、お調べになってください」と言った。
37:33 父は、それを調べて、言った。「これはわが子の長服だ。悪い獣にやられたのだ。ヨセフはかみ裂かれたのだ。」
37:34 ヤコブは自分の着物を引き裂き、荒布を腰にまとい、幾日もの間、その子のために泣き悲しんだ。
37:35 彼の息子、娘たちがみな、来て、父を慰めたが、彼は慰められることを拒み、「私は、泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下って行きたい」と言った。こうして父は、その子のために泣いた。

創世記42:36~38
42:36 父ヤコブは彼らに言った。「あなたがたはもう、私に子を失わせている。ヨセフはいなくなった。シメオンもいなくなった。そして今、ベニヤミンをも取ろうとしている。こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ。」
42:37 ルベンは父にこう言った。「もし私が彼をあなたのもとに連れて帰らなかったら、私のふたりの子を殺してもかまいません。彼を私の手に任せてください。私はきっと彼をあなたのもとに連れ戻します。」
42:38 しかしヤコブは言った。「私の子は、あなたがたといっしょには行かせない。彼の兄は死に、彼だけが残っているのだから。あなたがたの行く道中で、もし彼にわざわいがふりかかれば、あなたがたは、このしらが頭の私を、悲しみながらよみに下らせることになるのだ。」

創世記44:1~34(省略)

民数記16:28~33
16:28 モーセは言った。「私を遣わして、これらのしわざをさせたのは【主】であって、私自身の考えからではないことが、次のことによってあなたがたにわかるであろう。
16:29 もしこの者たちが、すべての人が死ぬように死に、すべての人の会う運命に彼らも会えば、私を遣わされたのは【主】ではない。
16:30 しかし、もし【主】がこれまでにないことを行われて、地がその口を開き、彼らと彼らに属する者たちとを、ことごとくのみこみ、彼らが生きながらよみに下るなら、あなたがたは、これらの者たちが【主】を侮ったことを知らなければならない。」
16:31 モーセがこれらのことばをみな言い終わるや、彼らの下の地面が割れた。
16:32 地はその口をあけて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての持ち物とをのみこんだ。
16:33 彼らとすべて彼らに属する者は、生きながら、よみに下り、地は彼らを包んでしまい、彼らは集会の中から滅び去った。

申命記32:20~22(主がよみと言われた箇所)
32:20 主は言われた。「わたしの顔を彼らに隠し、彼らの終わりがどうなるかを見よう。彼らは、ねじれた世代、真実のない子らであるから。
32:21 彼らは、神でないもので、わたしのねたみを引き起こし、彼らのむなしいもので、わたしの怒りを燃えさせた。わたしも、民ではないもので、彼らのねたみを引き起こし、愚かな国民で、彼らの怒りを燃えさせよう。
32:22 わたしの怒りで火は燃え上がり、よみの底にまで燃えて行く。地とその産物を焼き尽くし、山々の基まで焼き払おう。

Ⅰサムエル記2:1~6
2:1 ハンナは祈って言った。「私の心は【主】を誇り、私の角は【主】によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私はあなたの救いを喜ぶからです。
2:2 【主】のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。
2:3 高ぶって、多くを語ってはなりません。横柄なことばを口から出してはなりません。まことに【主】は、すべてを知る神。そのみわざは確かです。
2:4 勇士の弓が砕かれ、弱い者が力を帯び、
2:5 食べ飽いた者がパンのために雇われ、飢えていた者が働きをやめ、不妊の女が七人の子を産み、多くの子を持つ女が、しおれてしまいます。
2:6 【主】は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。

Ⅱサムエル記22:1~6
22:1 【主】が、ダビデのすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを【主】に歌った。
22:2 彼はこう歌った。「【主】はわが巌、わがとりで、わが救い主、
22:3 わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。
22:4 ほめたたえられる方、この【主】を呼び求めると、私は、敵から救われる。
22:5 死の波は私を取り巻き、滅びの川は、私を恐れさせた。
22:6よみの綱は私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。

Ⅰ列王記2:1~11
2:1 ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。
2:2 「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。
2:3 あなたの神、【主】の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。
2:4 そうすれば、【主】は私について語られた約束を果たしてくださろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、精神を尽くして、誠実をもってわたしの前を歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない。』
2:5 また、あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち、彼がイスラエルのふたりの将軍、ネルの子アブネルとエテルの子アマサとにしたことを知っている。彼は彼らを虐殺し、平和な時に、戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。
2:6 だから、あなたは自分の知恵に従って行動しなさい。彼のしらが頭を安らかによみに下らせてはならない。
2:7 しかし、ギルアデ人バルジライの子らには恵みを施してやり、彼らをあなたの食事の席に連ならせなさい。私があなたの兄弟アブシャロムの前から逃げたとき、彼らは私の近くに来てくれたからだ。
2:8 また、あなたのそばには、バフリムの出のベニヤミン人ゲラの子シムイがいる。彼は、私がマハナイムに行ったとき、非常に激しく私をのろった。しかし、彼は私を迎えにヨルダン川に下って来たので、私は【主】にかけて、『あなたを剣で殺さない』と言って彼に誓った。
2:9 だが、今は、彼を罪のない者としてはならない。あなたは知恵のある人だから、彼にどうすれば彼のしらが頭を血に染めてよみに下らせるかを知るようになろう。」
2:10 こうして、ダビデは彼の先祖たちとともに眠り、ダビデの町に葬られた。
2:11 ダビデがイスラエルの王であった期間は四十年であった。ヘブロンで七年治め、エルサレムで三十三年治めた。

ヨブ記7:7~9
7:7 思い出してください。私のいのちはただの息であることを。私の目は再び幸いを見ないでしょう。
7:8 私を見る者の目は、私を認めることができないでしょう。あなたの目が私に向けられても、私はもういません。
7:9 雲が消え去ってしまうように、よみに下る者は、もう上って来ないでしょう。

ヨブ記11:7~9
11:7 あなたは神の深さを見抜くことができようか。全能者の極限を見つけることができようか。
11:8 それは天よりも高い。あなたに何ができよう。それはよみよりも深い。あなたが何を知りえよう。
11:9 それを計れば、地よりも長く、海よりも広い。

ヨブ記33:28~30
33:28 神は私のたましいを贖ってよみの穴に下らせず、私のいのちは光を見る」と。
33:29 見よ。神はこれらすべてのことを、二度も三度も人に行われ、
33:30 人のたましいをよみの穴から引き戻し、いのちの光で照らされる。

詩篇6:1~5
< 6 > 指揮者のために。八弦の立琴に合わせて。ダビデの賛歌
6:1 【主】よ。御怒りで私を責めないでください。激しい憤りで私を懲らしめないでください。
6:2 【主】よ。私をあわれんでください。私は衰えております。【主】よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。
6:3 私のたましいはただ、恐れおののいています。【主】よ。いつまでですか。あなたは。
6:4 帰って来てください。【主】よ。私のたましいを助け出してください。あなたの恵みのゆえに、私をお救いください。
6:5 死にあっては、あなたを覚えることはありません。よみにあっては、だれが、あなたをほめたたえるでしょう。

詩篇6:10~11
16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。

詩篇30:3
30:3 【主】よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。

詩篇86:12~13
86:12 わが神、主よ。私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめましょう。
86:13 それは、あなたの恵みが私に対して大きく、あなたが私のたましいを、よみの深みから救い出してくださったからです。

箴言1:10~12
1:10 わが子よ。罪人たちがあなたを惑わしても、彼らに従ってはならない。
1:11 もしも、彼らがこう言っても。「いっしょに来い。われわれは人の血を流すために待ち伏せし、罪のない者を、理由もなく、こっそりねらい、

1:12よみのように、彼らを生きたままで、のみこみ、墓に下る者のように、彼らをそのまま丸のみにしよう。

伝道者の書9:10
9:10 あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知識も知恵もないからだ。

雅歌8:6
8:6 私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。

イザヤ書14:9
14:9 下界のよみは、あなたの来るのを迎えようとざわめき、死者の霊たち、地のすべての指導者たちを揺り起こし、国々のすべての王を、その王座から立ち上がらせる。

イザヤ書14:12~15
14:12 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
14:13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
14:14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
14:15 しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。

エゼキエル書31:14~17(神が語った箇所)
31:14 このことは、水のほとりのどんな木も、そのたけが高くならないためであり、そのこずえが雲の中にそびえないようにするためであり、すべて、水に潤う木が高ぶってそびえ立たないためである。これらはみな、死ぬべき人間と、穴に下る者たちとともに、地下の国、死に渡された。
31:15 神である主はこう仰せられる。それがよみに下る日に、わたしはこれをおおって深淵を喪に服させ、川をせきとめて、豊かな水をかわかした。わたしがこれのためにレバノンを憂いに沈ませたので、野のすべての木も、これのためにしおれた。
31:16 わたしがこれを穴に下る者たちとともによみに下らせたとき、わたしは諸国の民をその落ちる音で震えさせた。エデンのすべての木、レバノンのえり抜きの良い木、すべての水に潤う木は、地下の国で慰められた。
31:17 それらもまた、剣で刺し殺された者や、これを助けた者、諸国の民の間にあって、その陰に住んだ者たちとともに、よみに下った。

ホセア書13:14
13:14 わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。

アモス書9:1~4(主が語られた箇所)
9:1 私は、祭壇のかたわらに立っておられる主を見た。主は仰せられた。「柱頭を打って、敷居が震えるようにせよ。そのすべてを頭上で打ち砕け。わたしは彼らの残った者を、剣で殺す。彼らのうち、ひとりも逃げる者はなく、のがれる者もない。
9:2 彼らが、よみに入り込んでも、わたしの手はそこから彼らを引き出し、彼らが天に上っても、わたしはそこから彼らを引き降ろす。
9:3 彼らがカルメルの頂に身を隠しても、わたしは捜して、そこから彼らを捕らえ出し、彼らがわたしの目を避けて海の底に身を隠しても、わたしは蛇に命じて、そこで彼らをかませる。
9:4 もし、彼らが敵のとりことなって行っても、わたしは剣に命じて、その所で彼らを殺させる。わたしはこの目で彼らを見る。それは、わざわいのためで、幸いのためではない。」

ヨナ書2:1~2
2:1 ヨナは魚の腹の中から、彼の神、【主】に祈って、
2:2 言った。「私が苦しみの中から【主】にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。

ハバクク書2:5
2:5 実にぶどう酒は欺くものだ。高ぶる者は定まりがない。彼はよみのようにのどを広げ、死のように、足ることを知らない。彼はすべての国々を自分のもとに集め、すべての国々の民を自分のもとにかき集める。

新約聖書に記されている「地獄」の箇所

Ⅱペテロの手紙2:4
2:4 神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。

新約聖書に記されている「ハデス」の箇所

マタイの福音書11:23
11:23 カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。

マタイの福音書16:15~20
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
16:17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
16:19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
16:20 そのとき、イエスは、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と弟子たちを戒められた。

ルカの福音書10:13~15
10:13 ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちの間に起こった力あるわざが、もしもツロとシドンでなされたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰の中にすわって、悔い改めていただろう。
10:14 しかし、さばきの日には、そのツロとシドンのほうが、まだおまえたちより罰が軽いのだ。
10:15 カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスにまで落とされるのだ。

ルカの福音書16:19~31
16:19 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
16:20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、
16:21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
16:22 さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
16:23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
16:24 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
16:25 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
16:26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
16:27 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。
16:28 私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』
16:30 彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』
16:31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」

使徒の働き2:16~37
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』
2:22 イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行われました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。
2:23 あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
2:24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
2:25 ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
2:26 それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。
2:27 あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
2:28 あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』
2:29 兄弟たち。父祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。
2:30 彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。
2:31 それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのです。
2:32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。
2:34 ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。
2:35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』
2:36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

ヨハネの黙示録1:17~18
1:17 それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、
1:18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。

ヨハネの黙示録6:7~8
6:7 小羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が、「来なさい」と言うのを聞いた。
6:8 私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。

ヨハネの黙示録20:1~15
20:1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
20:2 彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、
20:3 底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
20:4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
20:5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。
20:6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
20:7 しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
20:8 地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
20:9 彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。
20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。
20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

 

 

新約聖書に記されている「ゲヘナ」

マタイの福音書5:20~30
5:20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。
5:21 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
5:23 だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、
5:24 供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。
5:25 あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。
5:26 まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。
5:27 『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

5:28 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
5:29 もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
5:30 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。

マタイの福音書10:22~28
10:22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
10:23 彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。
10:24 弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。
10:25 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。
10:26 だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。
10:27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。
10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

マタイの福音書18:7~9
18:7 つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。
18:8 もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
18:9 また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちに入るほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

マタイの福音書23:13~36
23:13 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々から天の御国をさえぎっているのです。自分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせません。
23:14 〔わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはやもめの家を食いつぶし、見えのために長い祈りをしています。だから、おまえたちは人一倍ひどい罰を受けます。〕
23:15 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、彼を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのです。
23:16 わざわいだ。目の見えぬ手引きども。おまえたちは言う。『だれでも、神殿をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、神殿の黄金をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』
23:17 愚かで、目の見えぬ者たち。黄金と、黄金を聖いものにする神殿と、どちらがたいせつなのか。
23:18 また、言う。『だれでも、祭壇をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、祭壇の上の供え物をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』
23:19 目の見えぬ者たち。供え物と、その供え物を聖いものにする祭壇と、どちらがたいせつなのか。
23:20 だから、祭壇をさして誓う者は、祭壇をも、その上のすべての物をもさして誓っているのです。
23:21 また、神殿をさして誓う者は、神殿をも、その中に住まわれる方をもさして誓っているのです。
23:22 天をさして誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方をさして誓うのです。
23:23 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実を、おろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、十分の一もおろそかにしてはいけません。
23:24 目の見えぬ手引きども。ぶよは、こして除くが、らくだは飲み込んでいます。
23:25 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
23:26 目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。
23:27 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。
23:28 そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
23:29 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、
23:30 『私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう』と言います。
23:31 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。
23:32 おまえたちも父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たしなさい。
23:33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
23:34 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
23:35 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来るためです。
23:36 まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。

マルコの福音書9:42~48
9:42 また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。
9:43 もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片手でいのちに入るほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。
9:45 もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
9:47 もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国に入るほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
9:48 そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。

ルカの福音書12:4~5
12:4 そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。
12:5 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。

ヤコブの手紙3:5~6
3:5 同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。
3:6 舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。

ご覧の通り、聖書には死後の世界として「よみ(黄泉)」「地獄」「ハデス」「ゲヘナ」といった言葉が出て来ます。そしてこれらの言葉は「人が死んだ後に行く世界」を表しています。新改訳聖書第三版の巻末に書かれている「よみ(黄泉)、地獄、ハデス、ゲヘナ」に関する注意書きに留意して下さい。

新約聖書で<ハデス><ゲヘナ>と訳出されているのは、それぞれ、「死者が終末のさばきを待つ間の中間状態で置かれる所」「神の究極のさばきにより、罪人が入れられる苦しみの場所」をさすが、適切な訳語がないために音訳にとどめたのである。しかし、旧約聖書では、新約の<ハデス>に対応する<シェオル>を<よみ>と訳した。これらの訳語の統一については、さらに検討が必要であろう。
出典:新改訳聖書第三版
――――――――――――――――――――――――――――――以上、聖書に書いてある「よみ(黄泉)、地獄、ハデス、ゲヘナ」に関する引用句を列挙しました。
それでは初めに「よみ」について考えて行きましょう。

 

聖書は「人は魂を宿した肉体の存在であり、死によって肉体は消滅するが魂は永遠に生きる」と教え、また、旧約時代の人々もそれを信じていました。先ほど記した「よみ」に関する聖句で、特に注意してほしいのは神御自身が「よみ」ついて言及されていることです。

申命記32:20~22
32:20 主は言われた。「わたしの顔を彼らに隠し、彼らの終わりがどうなるかを見よう。彼らは、ねじれた世代、真実のない子らであるから。
32:21 彼らは、神でないもので、わたしのねたみを引き起こし、彼らのむなしいもので、わたしの怒りを燃えさせた。わたしも、民ではないもので、彼らのねたみを引き起こし、愚かな国民で、彼らの怒りを燃えさせよう。
32:22 わたしの怒りで火は燃え上がり、よみの底にまで燃えて行く。地とその産物を焼き尽くし、山々の基まで焼き払おう。

エゼキエル書31:14~17
31:14 このことは、水のほとりのどんな木も、そのたけが高くならないためであり、そのこずえが雲の中にそびえないようにするためであり、すべて、水に潤う木が高ぶってそびえ立たないためである。これらはみな、死ぬべき人間と、穴に下る者たちとともに、地下の国、死に渡された。
31:15 神である主はこう仰せられる。それがよみに下る日に、わたしはこれをおおって深淵を喪に服させ、川をせきとめて、豊かな水をかわかした。わたしがこれのためにレバノンを憂いに沈ませたので、野のすべての木も、これのためにしおれた。
31:16 わたしがこれを穴に下る者たちとともによみに下らせたとき、わたしは諸国の民をその落ちる音で震えさせた。エデンのすべての木、レバノンのえり抜きの良い木、すべての水に潤う木は、地下の国で慰められた。
31:17 それらもまた、剣で刺し殺された者や、これを助けた者、諸国の民の間にあって、その陰に住んだ者たちとともに、よみに下った。

旧約時代では神御自身が「よみ」について言及され、また、ヤコブ、モーセ、サムエル、エレミヤ、ヨブ、ダビデ、ソロモン、イザヤ、エゼキエル、ホセア、アモス、ヨナ、ハバクク、新約ではペテロ、マタイ、ルカ、ヨハネも「よみ」について言及しています。ですからなにかよく分からないけど、でも、なにか死んだ後の世界が在ることを聖書ははっきり示しています。では、神は何を根拠に「よみ」について語っているのでしょうか? 旧約時代に預言者たちが言及した「よみ」とはどんな世界なのでしょうか? その答えが創世記4章に書かれています。

創世記4:1~12
4:1 人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、【主】によってひとりの男子を得た」と言った。
4:2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3 ある時期になって、カインは、地の作物から【主】へのささげ物を持って来たが、
4:4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物とに目を留められた。
4:5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。
4:6 そこで、【主】は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
4:7 あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
4:8 しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。
4:9 【主】はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
4:11 今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。
4:12 それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」

これは聖書で有名な、兄弟であった兄カインが弟アベルを殺した記録です。人類で初めて人が人を殺した記録です。兄カインは神が弟アベルのささげ物に目を留めて自分のささげ物には目を留めなかったことに腹を立てて怒りの矛先を弟アベルに向けてアベルを殺しました。そして神はカインに仰せられました。

4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
4:11 今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。

神は4章10節でカインに
「あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。」
と仰せられました。神はカインに殺された「アベルの叫び声」を聞いたのです。では、どこからカインに殺された「アベルの叫び声」が聞こえたのでしょうか? 4章11節に書かれています。

 

「今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。」


「のろわれた土地」から聞こえたのです。「のろわれた土地」から、カインに殺され死んだ者となった「アベルの叫び声」を神は聞いたのです。そして「その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。」と書いてあります。4章11節、12節は人の目に見えないある事柄を具象的に表現した神の言葉です。ここで神が言われた「弟の血」とは、弟アベルの「魂(たましい)」です。殺されたことによって肉体を失い死者となったアベルの魂が口を開いた土地の中に吸い込まれて行きました。だから「その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。」と神は仰せられました。血は文字通り血液で液体ですから、体から血が噴き出て地に流れ出れば血は地に吸い込まれて行きます。そのように、死者となって魂だけの存在となったアベルの魂が口が開かれた土地の中に吸い込まれて行きました。そしてアベルの魂が吸い込まれて行った世界が「よみ」です。ですからアベルは「よみの世界」から神に向かって叫んでいるのです。そして「よみ」から聞こえて来る「アベルの叫び声」を神は聞いたのです。だから神はカインに向かって「あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。」と仰せられました。アベルの叫び声が「よみ」から聞こえたことを裏付ける記述が、先ほど列挙した民数記16章のモーセが語った言葉にあります。民数記16章は「コラの事件」でモーセに反抗するコラたちが神の裁きによって地にのみ込まれる記録です。

民数記16:28~33
16:28 モーセは言った。「私を遣わして、これらのしわざをさせたのは【主】であって、私自身の考えからではないことが、次のことによってあなたがたにわかるであろう。
16:29 もしこの者たちが、すべての人が死ぬように死に、すべての人の会う運命に彼らも会えば、私を遣わされたのは【主】ではない。
16:30 しかし、もし【主】がこれまでにないことを行われて、地がその口を開き、彼らと彼らに属する者たちとを、ことごとくのみこみ、彼らが生きながらよみに下るなら、あなたがたは、これらの者たちが【主】を侮ったことを知らなければならない。」
16:31 モーセがこれらのことばをみな言い終わるや、彼らの下の地面が割れた。
16:32 地はその口をあけて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての持ち物とをのみこんだ。
16:33 彼らとすべて彼らに属する者は、生きながら、よみに下り、地は彼らを包んでしまい、彼らは集会の中から滅び去った。

16章30節のモーセが語った言葉に注目して下さい。

16:30 しかし、もし【主】がこれまでにないことを行われて、地がその口を開き、彼らと彼らに属する者たちとを、ことごとくのみこみ、彼らが生きながらよみに下るなら、あなたがたは、これらの者たちが【主】を侮ったことを知らなければならない。」

そして先ほどのアベルの叫び声を聞いた神の言葉とモーセがコラたちに語った言葉を読み比べて下さい。

アベルの叫び声を聞いた神の言葉
今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。

モーセがコラに語った言葉
しかし、もし【主】がこれまでにないことを行われて、地がその口を開き、彼らと彼らに属する者たちとを、ことごとくのみこみ、彼らが生きながらよみに下るなら、あなたがたは、これらの者たちが【主】を侮ったことを知らなければならない。

神は「その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。」と言われました。
モーセは「地がその口を開き、彼らと彼らに属する者たちとを、ことごとくのみこみ」と言われました。
神が言われた「その土地は口を開いて」と、モーセが言われた「地がその口を開き」とは、まったく同じ意味の言葉です。そしてモーセは続いて「彼らと彼らに属する者たちとを、ことごとくのみこみ、彼らが生きながらよみに下るなら、あなたがたは、これらの者たちが【主】を侮ったことを知らなければならない。」と言われ、ここで初めてモーセは「よみに下るなら」と言って「よみの世界」に言及しています。つまり、モーセの言葉によって創世記4章10節に書かれている神が聞いたアベルの叫び声は「よみからの叫び声」であることが裏付けられています。

次回に続く

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

本文の聖書のことばは「聖書・新改訳©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会」から引用しています。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2019年02月02日