善悪の知識の木ー2(サタンを裁く法廷)

日本基督道場
2017年3月12日(日)
発行元 日本基督道場 徳恵禎信 Copyright ©2014
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善悪の知識の木―2(サタンを裁く法廷)
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善悪の知識の木-1(神が定義する善と悪)からの続きです。

神はエデンの園に見るからに好ましく食べるのに良いすべての木と、さらに園の中央にいのちの木と善悪の知識の木を生えさせて、アダムに仰せられました。

創世記2:9
2:9 神である【主】は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。

創世記2:16~17
2:16 神である【主】は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

▼善悪の知識の木について、死について、何も分らないアダム▼
さて、アダムは神が「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と言われた時、何を思い、何を感じたでしょうか?。答えは「アダムは何も分りませんでした。」
前回述べましたが、アダムからすれば

善悪の知識の木?なにそれ?
なんで善悪の知識の木から取って食べてはいけないの?
なんで取って食べてはいけない木が園の中央に生えているの?

という感じです。私たちはアダムとエバが善悪の知識の木の実を食べてしまいその結果もたらされた「呪われた地の世界」に生まれ存在しているので、善と悪の中で絶えず悩み苦しみながら体験的に、善悪の知識の木について知っています。また、おじいちゃんおばあちゃんをはじめとして周りの人々が病気や寿命でバタバタ死んで行くのを見ながら「自分もやがて死ぬときが来るのだ」と体験的に理解しています。
アダムが神から「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と厳命された時は、まだ、地は悪も呪いも死も存在しない世界でした。ですから、当然、神が仰せられた善悪について、死について、アダムは何のことだかさっぱり分りません。分らなくて良いのです。理解出来なくて良いのです。神だけが知っていれば。また、神が善悪の知識の木について、死について、アダムに説明したところで、アダムに善悪の知識の木と死が理解出来るわけではありません。善悪と死は体験して、初めて理解出来ます。だから神はいちいちアダムに善悪の知識の木について、死について、説明なんかしません。ただ、神が食べてはならないと命令されたのですから、分らなくても何でもとにかく食べなければ良いのです。
アダムはエバから渡された善悪の知識の木の実を食べて目が開かれて自分たちが裸であることを知った時、初めて自分たちが悪を行ったことを自覚して「神の言葉に反することが悪である」と知的に、体験的に、理解しました。善悪の知識の木の実を食べたことによって、はじめて善悪の知識の木の意味を理解しました。ですから善悪の知識の木の実を食べる前までは、なぜ、園の中央に善悪の知識の木が植えられて、なぜ、神は善悪の知識の木から取って食べてはならないと命令されたのか、アダムは知る由もありません。また死についても「アダムは全部で九百三十年生きた。」と記されていますから、九百三十年生きて老化して動けなくなった自分の姿を見て死の間際に「これがあの時神が仰せられた死ということなのか」と理解したはずです。神はアダムにヘラヘラ笑いながら「~♪ルンル~ン♪アダムちゃ~ん、善悪の知識の木から取って食べちゃダメだよ~。それを取って食べちゃうと、アダムちゃんが死んじゃうからね~」と仰せられたのではありません。創造主としての権威と威厳に満ちた声で、厳かに「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と厳命されたのです。神の厳粛な言葉に、アダムは恐れおののき「善悪の知識の木の実を食べると何か恐ろしいことが起こる」と恐怖を感じたはずです。アダムは善悪の知識の木について何も分りませんでした。ただ、神が「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と仰せられた神の厳命に、善悪の知識の木に対して恐怖、恐ろしさを感じ、エバからその実を渡されるまで善悪の知識の木の実に触れることはありませんでした。

▼善悪の知識の木と死について知っていたサタン▼
では、神はなぜ、アダムが理解出来ない、また、知る必要もない善悪の知識の木を園の中央に植えたのでしょうか?。それは、「サタンのため」です。「サタンを裁くため」です。
サタンは善悪の知識に木について知っていました。また、園の中央になぜ植えられたのかも知っていました。善悪の知識の木について人間は分りませんでしたが神とサタンは知っていました。ですから、本来、善悪の知識の木は神とサタンの問題でした。そこへ、サタンは人間を騙して人間を引きずり込んで神とサタンの問題を神と人間とサタンの問題にしてしまいました。そして法廷で人間の悪を神に訴えます。
サタンは言います。
「神様、私たちを裁くなら、私たちと同じ悪を犯した人間たちも裁いて下さい」と。
サタンとは「敵」という意味と同時に「訴える者」という意味があります。だから、神は人間とサタンの間に救い主なるイエス・キリストを置いて、人間の悪をキリストの十字架によって裁きました。

創世記3:15
3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

「敵意」とは、すなわち神とサタンが敵対する関係になり、
人類とサタンの間に救い主が入って来て救い主はサタンの頭を踏み砕き、サタンは救い主のかかとに噛みつきます。キリスト教界では「原福音」と言われています。

▼サタンを裁く法廷▼
いのちの木は人間のための木です。それに対して善悪の知識の木はサタンのための木です。サタンを裁くための木です。
サタンは善悪の知識の木の意味を知っていました。死について知っていました。善悪の知識の木の実を人が食べると人の身に何が起こるかを知っていました。では、なぜ、サタンは善悪の知識の木について知っていたのでしょうか?。それは「自分たちが善悪を体験したから」です。
サタンは神の国で謀反した時点で悪と成りました。それまで善の存在だったものが、神の意思に対義したので悪の存在に変貌して、神の栄光を失いました。サタンはそれまで御使いとして神の栄光をその身にまとい光輝いていました。しかし悪によって光輝く神の栄光を失い闇の存在となりました。

▼サタンの背信▼
サタンはもともと神によって創られた「御使い(みつかい)」です。「御使い」は文字通り「神の使い、神に仕える者たち、神の使い走り」です。ですから神が右と言ったら一斉に右に倣い、神が左と言ったら一斉に左に倣う存在です。ところが、その御使いの一部がある日、神が右と言ったら「嫌だ。俺たちは左に行く」と言いだしました。さあ、大変です。これでは天の秩序が保てません。だから、神はサタンを地に落とされました。
御使いたちには強大な権限と能力が与えられています。そして、なによりも、神の栄光で輝いていました。その御使いたちの一部が神から離れて自分たちが頂点とする世界を作ろうとしました。その様子がイザヤ書とエゼキエル書に記されています。

イザヤ書14:12~15
14:12 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
14:13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
14:14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
14:15 しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。

「暁の子、明けの明星よ。」とは、地に落とされる前の御使いのことです。その御使いが「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。」と言って自分たちも神になろうとしました。エゼキエル書には御使いの堕落をツロの王の行いと重ね合わせて記しています。

エゼキエル書28:11~19
28:11 次のような【主】のことばが私にあった。
28:12 「人の子よ。ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。
28:13 あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。
28:14 わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。
28:15 あなたの行いは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。
28:16 あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。そこで、わたしはあなたを汚れたものとして神の山から追い出し、守護者ケルブが火の石の間からあなたを消えうせさせた。
28:17 あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。
28:18 あなたは不正な商いで不義を重ね、あなたの聖所を汚した。わたしはあなたのうちから火を出し、あなたを焼き尽くした。こうして、すべての者が見ている前で、わたしはあなたを地上の灰とした。
28:19 国々の民のうちであなたを知る者はみな、あなたのことでおののいた。あなたは恐怖となり、とこしえになくなってしまう。」

イザヤ書14章12節の「暁の子、明けの明星よ」とは、光輝く御使いのことです。ある人たちは「暁の子、明けの明星は天使長ルシファーを指している」と言っています。エゼキエル書28章12節では神御自身が「あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。」と言っており、さらに13節で「あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。」と言って、神が御使いに最善で最上の知恵と美しさを与えたことが記されています。「これらはあなたが造られた日に整えられていた。」とは、神が御使いたちをそのように造られたという意味です。ここで注意して欲しいのは「あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。」と記されていて、ここに記されている「エデンの園」は創世記2章に記されている「エデンの園」と同一であると解釈する人たちがいますが、エゼキエル書28章13節に記されているエデンの園と創世記2章に記されているエデンの園は同じエデンの園ですが時系列的には同一のエデンの園ではありません。エゼキエル書28章13節のエデンの園は創世記2章に記されているエデンの園を指しているのではありません。このことはまた後でお話しします。
御使いは神に仕えるために、神の手となり足となるために神によって創られた存在者です。神の意思を具現化するための手先足先です。それ故、神は彼らに、万物で最上の知恵と美しさを与えました。だから、御使いたちに不満などありません。不足もありません。15節に「あなたの行いは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。」と記されているように、彼らはそれまで忠実に神の言葉によって自分たちの使命を全うしていました。ところがその御使いたちの一部が謀反を起こしました。彼らは不満があって神に反抗したのではありません。エゼキエル書28:12~13に記されているように、あまりにも自分たちが美しく万物で最高の知恵を持っているために、慢心して、高ぶりました。もう一度言います。彼らは不満があって神に反抗したのではありません。エゼキエル書28:12~13に記されているように、あまりにも自分たちが美しく万物で最高の知恵を持っているために、慢心して、高ぶりました。

エゼキエル書28:12~13
28:12 「人の子よ。ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。
28:13 あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。

イザヤ書28:17
28:17 あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。

謀反した御使いたちは神に不満があって反抗したのではありません。自分たちがあまりにも美しいので、知恵と能力が凄いので、それ故「慢心」したのです。成すことすべてが素晴らしく、褒められたので、結果として有頂天になり、自慢して、驕り高ぶり、その思いに野心が芽生え、自分たちも神になろうとしました。そしてその立場を離れて、自分たちが善とする世界を創ろうとしました。

ユダの手紙1:6
1:6 また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。

彼らは神から与えられた領域から逸脱して、本来居るべき場所から出て行きました。神と対極しました。神の思いに対義しました。神の善に対して悪となりました。
私たち人間も、権力を持つと必ず堕落します。いつの時代も、どこの国も民族も、同じです。政治家は国民のため国民のためと言いながら、権力を握った途端、結局は自分のために政治を行います。自分を頂点としたピラミッドの形をした権力構造社会を作ります。それはキリスト教界も同じです。牧師を頂点とした権力組織を作ります。後でダビデの例をとってお話しします。

▼神の信頼を裏切ったサタン▼
サタンは神に不満があって反抗したのではありません。神が与えて下さったものがあまりにも素晴らしかったので、それ故、自分を過信して、慢心して、高慢になり、神から離れて行って、自分たちの世界を作ろうとしました。世の政治家が権力を握った途端に自分の野心のために政治を行うのと同じです。造られたものはどこまで行っても造られたものでしかありません。野に咲く美しい花も、もちろん花自身が持つ美しさは称賛されるべきですが、その花を造ったのは神です。サタンがやっていることは、美しい花が人間に対して「どうだ、俺の美しさに感動したか。だったら、俺を神として崇めろや」と言っているようなものです。だからサタンは荒野でイエスを山の頂に連れて行きこの世のすべての国々とその栄華を見せて「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」と言ってイエスを誘惑しました。この世の権力がもたらした栄華はすべてサタンの価値観、感性で作られた世界です。私たち人間はサタンの価値観、感性で作られた「この世の栄華」に魅せられて、この世の栄華を求めて生きています。この世で輝くことが最高の生き方だと信じています。
サタンの自分たちの存在の拠り所は、自分たちの「知恵と能力」です。神から与えられた強大な知恵と能力を人間に知らしめ、誇りたいのです。
サタンは言います。

神様、あなたは私たちの悪を責めますが、そもそも、私たちを創られたのは、神様、あなたではありませんか。私たちの悪の責任は、私たちを創られた神様、あなたに責任があるのではないですか?

と。

それに対して神はサタンに言います。

私はお前に最高の知恵を与えたではないか。
私はお前に極上の美しさを与えたではないか。
私はお前を赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルドで包んだではないか。私はお前に金で出来たタンバリンと笛を与えたではないか。これらのすべてはお前が造られた時にあったではないか。何か不足があったか。何か不満があったか。私はお前を喜びの極みで満たしたではないか。これらのものは私がお前を信頼したからこそ与えたものなのに、お前は私の信頼を裏切って自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせたではないか。私のどこに責任があるのだ。

と。

御使いは文字通り神の使いで神の手先足先となり神の意思を具現化するための存在として創られました。コンピュータがデジタル信号によって人間の思考を視覚化、物理化するように、御使いは神の思考を視覚化、物理化するデジタル信号のような役目を負っています。目に見えない、手で触ることの出来ない神の思考の世界(ソフトウェア)と目に見える、手で触ることの出来る物理的な世界(ハードウェア)の架け橋となる使命を負っています。だから御使いは奇跡を起こすことも出来ます。心霊現象やUFO現象を起こすことも出来ます。
ヨハネの黙示録を読めばお分かりのように、ヨハネの黙示録は「天における御使いの働き」を記した記録です。「御使い行伝」です。ですから、最初から最後まで、御使いの働きが記されています。ソフトウェアによってハードウェアが動作するように、神に命令によって天の御使いがラッパを吹いたり鉢をぶちまけると地上の人間の世界で何かが起こります。
神は御使いを御自身の命令に従うロボットとして創られたのはありません。御使いにも自由意志はあります。選択の自由はあります。しかし、それは、人間と同じように、神の価値観、神の感性を共有するための自由意志であって、自分勝手な事をするための自由意志ではありません。そして、創造主と被造物との間における自由意志とは「お互いの信頼によって成り立つ自由意志」です。神は御使いに期待して御使いを信頼したからこそ、御使いに強大な権限と能力を与えました。御使いが自分の期待に応えて素晴らしい世界を造ってくれると信じたからこそ、御使いに極致の美しさと知恵を与えました。これは人間も同じです。

▼人間を信頼する神▼
創世記1:26
1:26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」

神はこれから創造する人間にいのちの世界の支配を任せようとしました。人間にいのちの支配を任せるということは、そこに神が人間を信頼して信任することが大前提となります。「任せる」というのは任せる相手を信じることです。信頼することです。信用することです。ここが重要です。
エジプトの王パロは夢を解き明かしたヨセフを全面的に信用して信頼したので、来たる飢饉から国を救うためにヨセフを国の司とし、彼に国の政治を任せました。その結果、エジプトは飢饉から救われました。
創造主が自分が創った被造物に何かを任せるということは、自分が創った被造物を信用する、信頼することが前提にあります。ですから被造物は創造主から独立した存在であって、ロボットではありません。「自立した者同士が信頼するお互いの関係」です。そして同時に任せるということは、任せた相手に自分で自由に選択して判断する裁量権を与えることです。この自由に選択して判断する裁量権が、神が保障する「被造物の自由意志」です。だからエデンの園で神が連れて来た生き物に人が自分の好きな名を付け、神はそれを良しとされました。神は人に任せた以上、いちいち人が自分で決めたことに干渉しません。人がやったことに「それじゃダメ。あれじゃダメ」なんて言っていたら、人に任せた意味がありません。ただ、人が困った時だけ、人を助けます。アダムが動物の名を付けるのに困っていたとき、助け手として女エバを与えました。神がエデンの園に善悪の知識の木を植える前に、人間を創る前に、すでに人間に自由意志を与え、人間の自由意志は確立され、人間の自由意志は保障されていました。創世記1:28で「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と仰せられた時点で、すでに人間の自由意志は確立され完成されています。人間は神のロボット云々の問題ではありません。ただし、前にお話ししたように、神が人間に与えた自由意志は「創造主なる神の価値観、感性と共有出来る範疇における、被造物の自由意志」です。ですから、神がエデンの園に善悪の知識の木を植えた理由は、人間が自分の自由意志によって神に従うか従わないかをテストするためではありません。

▼信仰によって不信仰が裁かれる▼
創造主なる神と被造物なる御使い、人間は、お互いの信頼関係で成り立っています。信頼関係とは、お互いを信じて頼りながらお互いの自由意志を尊重してお互いの使命を果たすことです。その信頼関係を、サタンは壊しました。そこで神はサタンを裁くためにエデンの園をサタンを裁くための法廷とし、人間の神への信仰、神への信頼の姿をサタンに見せることによって「創造主と被造物はお互いの信頼関係で成り立っている」ということを証明して、お互いの信頼関係を壊したサタンに裁く根拠、法律を示そうとされました。
神が御使いに宝石の輝きで覆い知恵の極みを与えたことは、神が御使いを信頼した証です。神は何も与えないで「黙って俺の言うことに従え」と言ったわけではありません。たった一つしか与えないで「何でもいいから俺の言うことに従え」と命令したわけではありません。持てるものすべてを与えて、被造物に自由意志を与えたのです。そして、すべての御使いが神に謀反したのではありません。一部の御使いたちが謀反したのです。ヨハネの黙示録を読めばお分かりのように、残りの御使いたちは今でもきちんと神に従い神に仕えています。神に従う御使いが居る以上、神に謀反したサタンは神に言い訳が出来ません。神は言います。
「おまえは私に責任があると訴えているが、今でも私に従う御使いたちが大勢居るではないか。彼らはおまえたちと同じ御使いだぞ」と。
神に従う御使いの信仰によって、謀反した御使いの不信仰が裁かれます。神に従う人の信仰によって、神に従わない不信仰の人が裁かれます。
神が被造物に与えた自由意志とは「神に従うか従わないかの自由意志」ではありません。「神が与えたすべてのものの中から自分の意志で選択する自由」です。
神は悪となったサタンをそのまま見過ごすわけにはいきません。放置するわけにはいきません。そのままサタンの悪を看過すれば、創造主なる神の義が廃ります。ですからどこかでサタンの悪を裁いてけじめを付けなければなりません。そこで、神は、人間の神への信仰によって、サタンを裁こうとしました。

▼サタンの言い分▼
先ほど言ったようにサタンは言います。
「神様、あなたは私たちの悪を責めますが、そもそも、私たちを創られたのは、神様、あなたではありませんか。私たちの悪の責任は、私たちを創られた神様、あなたに責任があるのではないですか?」と。これは、人間も同じです。
神を信じない人は必ず言います。
「人が罪を犯した責任は、人が罪を犯すように創られた神様に責任があるのではないですか?」と。

▼神がサタンを裁く法律▼
神は人間が罪を犯すように創られたわけではありません。人がサタンと同じことを言うのは、人がサタンの価値観、感性に感化されている証拠です。そこで神はサタンの言い分に対してサタンを裁くための「根拠」を示さなければなりません。サタンを裁くための「法律」を示さなければなりません。ただ「お前は俺の命令に背いたから死刑だ!」ではダメなんです。人間の世界では権力者の都合のいいように一方的に法律を作って「法律を犯したからお前は死刑だ!」で通りますが、創造主なる神と被造物の関係はそれでは通用しません。そこが万物の創造主なる神たる所以です。神からすれば相手は御自身が創られた被造物です。ですからサタンからすれば「だったら最初から俺を創らなければいいじゃない」と必ず反論します。そこで神はエデンの園の中央にいのちの木と善悪の知識の木を置いて「人間の神への信仰」によってサタンを裁く根拠を示そうとしました。神がサタンを裁く根拠、法律は、「創造主と被造物の関係はお互いの信頼関係で成り立っている」ということです。神は御使いたちに御自身が持てる栄光の輝きと知恵のすべてを与え、任せまたした。神は御自身の知恵と力と美しさを御使いに委譲して御使いに天の秩序を任せたのです。同様に神が人間に御自身が創られた生きものの支配を任せたのは御自身の知恵と力を人間に委譲して生きものの支配を任せ、いのちの世界の秩序を作ることを願ったのです。そこには当然神から人間への信頼、信任があってこそ成り立ちます。神は御自身と人間の関係を通して「創造主と被造物はお互いの信頼関係で成り立っている」ということをサタンに示そうとしました。サタンは神と人間に対して自分たちの知恵を誇ります。自分たちの力を誇ります。「どうだ、俺たちの知恵は凄いだろう。俺たちの力は凄いだろう」と。それに対して神は「私と被造物の関係は、知恵や力ではなく、お互いの信頼関係で成り立っている」と言います。

サタンはその美しさと知恵において何一つ不満も不足もありませんでした。ただ、神が与えた美しさと知恵に自ら驕り、高ぶり、過信して、絶対超えることが出来ない神に自分たちもなろうとしました。
エデンの園は神と人間が交わり人間に永遠のいのちを与える場所と同時に、善悪の知識の木によってサタンを裁くための「法廷」でもあります。法廷には裁判の当事者である被告が居なければ裁判を開くことが出来ません。だからエデンの園に蛇(サタン)が徘徊していました。神は「人間の神への信仰」によって「サタンの不信仰、背信」を裁こうとしました。聖書には「信仰によって不信仰が裁かれる」と書いてあります。不信者がいくら神に反発しようが反抗しようが信仰者が居る以上、不信者の言い訳は通用しません。「おまえは私にいろいろ文句を言っているが、ここに黙って私を信じて従う者が大勢居るではないか。これをおまえはどう説明するのだ」と言われたら、不信者は何も言えません。

▼神の裁き▼
バプテスマのヨハネが現れて、ヨハネは開口一番次のように教えました。

マタイの福音書3:1~10
3:1 そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。
3:2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
3:3 この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われたその人である。
3:4 このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。
3:5 さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、
3:6 自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。
3:7 しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
3:8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。
3:9 『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。
3:10 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

ヨハネは「斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」と言って、神の裁きは良い実を結ぶ木と悪い実を結ぶ木を区別して裁かれることを教えています。良い実を結ぶ木と悪い実を結ぶ木、あるいは良い種と悪い種のたとえ話はイエス・キリストが何度も話されています。また、旧約聖書にも記されています。以下にキリストが語った良い実を結ぶ木と悪い実を結ぶ木のたとえ話を並べてみます。

マタイの福音書7:13~21
7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
7:15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
7:16 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
7:17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
7:18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
7:19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
7:20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。

マタイの福音書13:36~42
13:36 それから、イエスは群衆と別れて家に入られた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。
13:37 イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。
13:38 畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。
13:39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。
13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
13:41 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、
13:42 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

マタイの福音書15:1~14
15:1 そのころ、パリサイ人や律法学者たちが、エルサレムからイエスのところに来て、言った。
15:2 「あなたのお弟子たちは、なぜ長老たちの言い伝えを犯すのですか。パンを食べるときに手を洗っていないではありませんか。」
15:3 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。
15:4 神は『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言われたのです。
15:5 それなのに、あなたがたは、『だれでも、父や母に向かって、私からあなたのために差し上げられる物は、供え物になりましたと言う者は、
15:6 その物をもって父や母を尊んではならない』と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。
15:7 偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。
15:8 『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。
15:9 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」
15:10 イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。
15:11 口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」
15:12 そのとき、弟子たちが、近寄って来て、イエスに言った。「パリサイ人が、みことばを聞いて、腹を立てたのをご存じですか。」
15:13 しかし、イエスは答えて言われた。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。
15:14 彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を手引きする盲人です。もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」

ヨハネの福音書15:1~6
15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
15:2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

「良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」
「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。」
「だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」

良い実は信仰による行いであり、悪い実は不信仰による行いです。「みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」これが神の裁きです。
イエス・キリストがこの世の来られたのは、人類の救いと同時にサタンとその配下(不信仰の人々)の裁きのためです。
サタンは神に対義して初めて自分たちが悪となり、善悪を体験する者となりました。善悪の知識の木はサタンに象徴であり、もし、人が神に従順であり続け、いのちの木の実を食べていたならば、人は神と共に永遠に生き続け、善悪の知識の木は伐り倒されて火が燃える炉に投げ込まれ永遠に焼かれるはずでした。つまり人間の神への信仰によって、サタンは永遠の刑罰を受ける運命にありました。エデンの園はサタンを裁くための法廷でもあります。いのちの木と善悪の知識の木が園の中央に置かれたのは、諸々の御使いたちをはじめすべての被造物の目が法廷に注がれるためです。御使いたちは神がサタンをどう裁くのかを注視していました。
神は「創造主と被造物はお互いの信頼関係で成り立っている」ということを人間の神への信仰によってサタンに証明するために園の中央にいのちの木と善悪の知識の木を生えさせて人間の神への従順によってサタンの不従順を裁こうとしました。

次回に続く
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本文の聖書のことばは「聖書・新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会」から引用しています。
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2017年03月12日