神が人をエデンの園から追い出された理由

日本基督道場
2016年5月3日(火)
発行元 日本基督道場 徳恵禎信 Copyright©2014
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神が人をエデンの園から追い出された理由
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気の合う人、気の合わない人。「気」って、なに?

皆さんは学校や職場において、必ず「人間関係」で悩むと思います。「人間関係」というのは、突き詰めて行けば「相手の人と気が合うか、気が合わないか」の問題です。「反りが合うか、反りが合わないか」の問題です。「自分の思いや考えが相手の人と通じ合うか、通じ合わないか」の問題です。
私たちはよく、人間関係において「気が合う、気が合わない」という表現を使います。同類の言葉として「相性が良い、相性が悪い」「肌が合う、肌が合わない」「馬が合う、馬が合わない」「フィーリングが合う、フィーリングが合わない」「話が合う、話が合わない」など、いろいろな表現があります。そもそも「気が合う、気が合わない」の「気」って、なんでしょうか?。

「気が合うか、気が合わないか」というのは、「価値観が合うか、価値観が合わないか」の問題です。ここで言う「価値観」とは、「霊的な価値観」です。「思考の世界においてお互いが共感出来るか、共感出来ないか」の問題です。

五月に入り、新入生は「気の合う友達」が見つかったでしょうか?。
高校、大学に入学すると、入学式ではだいたい周りの人は見ず知らずの人ばかりです。高校ではいろいろな中学校から集まって来た人たちばかりです。大学ではいろいろな高校から集まって来た人たちばかりです。当然、お互いどんな人なのか?分かりませんから、まあ、最初は同じクラス、同じ学部の何人かの人に話かけて当たり触りのないお話をしながら、自分と気の合う人を探し回ります。そして数日のうちに、気の合う友達が出来ます。気の合う人とは、趣味やファッション、音楽やアイドルなどいろいろな価値観を共有することが出来て、話をしていて違和感を感じない人、話が噛み合う人、話が弾む人、話のチャンネル、波長が合う人です。そして類は友を呼びますから、同じ価値観を共有出来る人たちがさらに集まって来て一つのグループが出来上がります。ですから「気が合う人」というのは、自分の思いや価値観を共有出来る人のことを言います。平易な言い方をすれば「自分の話を聞いてうなずいてくれる人、共感してくれる人、共鳴してくれる人、一緒に喜んでくれる人、一緒に悲しんでくれる人」です。
人は自分の話や愚痴を聞いてくれる人を求めています。自分と同じ価値観、自分と同じものの見方をする人を求めています。自分の価値観を共有出来る人が、いわゆる「友だち」です。
そして、「自分の価値観」が「自分の世界」です。好きなクラブに入ってクラブの楽しさを共有します。一緒に買い物に行って自分が好きなファッションに身を包んで「かわいいね」と言ってくれる人と会話を楽しみます。一緒に自分が好きなアイドルに夢中になってコンサートで熱狂します。自分が好きな人と熱烈な恋愛をして結婚します。これらの自分の生き方、自分の思い、自分の価値観が、「自分の世界」です。
そして、「自分の世界」は自分の思想、自分の信条、自分の哲学、自分の政治観にも波及して行きます。

政治の世界では、大きな流れとしていわゆる「右翼、左翼」に分かれ、当然、右翼思想の人たちが集まって右翼のグループが形成され、左翼思想の人たちが集まって左翼のグループが形成されていき、ネットの普及によってネット上で右翼と左翼のバトルが繰り広げられて行きます。

人は自分の価値観、自分の感性、自分の人生観を共有出来る人を求めています。

神は天地創造で、御自身が創られた万物をご覧になられて、「見よ。それは非常に良かった。」と仰せられました。神は御自身が美しいと思うものをそのまま美しいものとして、自然の世界に反映されました。御自身が美味しいと感じたものを地の食べ物として樹木の実に反映されました。さらに、エデンの園では、「見るからに好ましく食べるのに良いすべての木」を人に与えました。この「見るからに好ましく食べるのに良いすべての木」とは、「神の感性で見るからに好ましく感じ、神の感性で食べるのに良いすべての木」です。
神は御自身が美しいと感じるものを美しいと感じて「美しいね」と感動してくれる存在が欲しいのです。御自身が美味しいと思うものを美味しいと感じて「美味しいね」と喜んでくれる存在が欲しいのです。神と同じ価値観、神と同じ感性を持った存在が欲しいのです。神は御自身と気が合う存在が欲しいのです。だから、神は「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。・・・」と言って、人間を創られました。

創世記1:26~27
1:26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

26節の「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。・・・」とは、人の霊的な世界の創造を表した言葉です。神は霊の存在(思考する存在)であられるように、人間も霊の存在(思考する存在)として創り、神と同じ価値観を以って神と交わる存在として、神と同じ感性を以って神と交わる存在として、「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。・・・」と神は言われました。「われわれのかたちとして、われわれに似せて。」とは、「神と同じ価値観、神と同じ感性」という意味です。
そして27節の「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」とは、神は知恵と意志と感情を主体とした存在であられるように、人間を知恵と意志と感情を主体とした魂の存在として創り、さらに一つのものを男と女に分けて創られたので、このように記されています。
人間は神と同じ思考の世界を持った存在として、知恵と意志と感情を主体とする魂を以って、神の価値観、神の感性、神の世界を共有するものとして創られました。そして、神の価値観、神の感性、神の世界を人と共有する場所として、神はエデンの園を設けられました。ですから、エデンの園に生えている見るからに好ましく食べるのに良いすべての木の実を人が見て、人はその実を好ましく感じて食べたいと思いながら、手に取って園の周りに生えているすべての木から思いのまま食べていました。エデンの園は神が良いとされたものを人が良いものと感じて受取る世界です。神が美しいと思ったものを人が美しいと感じる世界です。また、人が美しいものを作り、神様に「お父さん、これ、美しいでしょ?」と言えば、神様は「ああ、美しいよ」と言って喜んで下さる世界です。神の価値観と人間の価値観が共有される世界です。エデンの園で神の価値観を共有しながら人が喜ぶ姿を見ることが、神の最大の喜びです。
神は御自身の価値観を共有する被造物として人間を創られて、その人間に生きものの支配を任せて、エデンの園で御自身の価値観を人間と共有していました。ところがそこへ蛇(サタン)がやって来て人間を罪に陥れ、サタンの価値観の世界に人間を引きずり込んで、人間を支配しました。そして人間はサタンと同じように神に対峙して自分たちの世界を作りました。
エデンの園は「神と人が会話する世界」です。神と人が直接顔を合わせて言葉によってコミュニケーションする世界です。神と人が直接顔と顔を合わせて、目と目を見つめて話しをすることが出来る世界です。神の思考と人間の思考が交わる世界です。
神と人が直接会話が出来るのは、神と人の間に会話をするための障害がないからです。会話を妨げるものがないからです。ところが人が善悪の知識の木の実を食べた結果、神と人の間に「罪(悪)」という障害が現れました。「罪(悪)」という妨げが現れました。罪(悪)によって神と人の価値観がズレてしまいました。その様子が創世記3:8~9に記されています。

創世記3:8~9
3:8 そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である【主】の声を聞いた。それで人とその妻は、神である【主】の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
3:9 神である【主】は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
3:10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」

それまで神と人は顔と顔を合わせて、目と目を合わせて会話をしていました。ところが罪によって人は神の御顔を避けて園の木の間に身を隠しました。それまで人は神と顔と顔を合わせていたものが、罪によって神と顔を合わせることを避けて隠れるようになりました。

みなさんは学校や職場で気の合う人を見かければ、こちらから「元気してる?」とか言って声を掛けますよね?。逆に気の合わない人、気に入らない人、嫌な人を見かければ、目線を逸らして気が付かれないように通り過ぎたりしませんか?。気の合う人、自分の価値観を共有出来る人とは顔を合わせて会話が弾みます。気の合わない人、自分の価値観を共有出来ない人とは顔を避けて逃げます。

私の中学生時代の話ですが、クラスの席替えで、あみだクジで前から順番に誰がどの席に座るか決められていき、私の前の席に女生徒が二人座りました。ところがその二人の女性徒の一人が、私に「ためさん(私のあだ名)、私の隣の彼女と入れ替わって私と座ってくれない?」と言って来ました。彼女はちょっとツッパリ系というか、スケ番風のはっきりと自分の意見を言う人でした。そして彼女は「隣の席の女とは気が合わないから、席を入れ替えて私の隣に来てくれない?」ということでした。私は優しい笑顔で「いいよ!」と言って席を入れ替えてスケ番風の彼女の隣の席に座ることになりました。確かに二人を見ていると、スケ番風の彼女と真面目なもう片方の彼女とは相性が悪く気も合わないし話も合わないだろうし、おそらく同性の隣同士でもよっぽどのことがなければ口を利くことはないだろうと思い、席を替わりました。真面目な彼女の方も内心私と席が入れ替わってホッとしているようでした。
みなさん、もし、あなたの学校や職場で隣の席に嫌な人、気が合わない人、価値観の合わない人が座ったら、どうしますか?。まあ、苦痛以外の何ものでもありませんよね。別に隣の人が自分に意地悪するわけでもないけど、「嫌な人が隣に居る。気の合わない人が隣に居る」というだけで、憂鬱になりますよね。
保育園でも、3歳から5歳になれば、もう人の好き嫌い、気の合う友達、気の合わない友達がはっきりして来ます。子どもでも遊びながら自然に気の合う友達と多く時間を過ごすようになります。3歳から5歳になれば、すでに子ども同士の人間関係が出来て、「気の合う人、気の合わない人」が出て来ます。「気が合う、気が合わない」は、大人とか子どもとかの問題ではありません。生まれつき魂に刻まれた思考の世界の問題です。私たち人間が「罪の世界に生まれてきた証拠」です。人間って、不思議ですね。

アダムとエバはそれまでエデンの園で神と価値観を共有して神と顔と顔を合わせて会話をしていました。それが罪によって神の御顔を避けて隠れました。
アダムとエバが神の御顔を避けて隠れたのは、神が禁じた善悪の知識の木の実を食べた結果、神の価値観と二人の価値観が異なってしまったからです。それまで神とアダムとエバの三者はすべてにおいて気が合っていました。阿吽の呼吸で通じていました。それが神の価値観と対極にある善悪の知識の木の実をアダムとエバが食べたので、神の価値観とアダムとエバの価値観がズレてしまいました。神と人間が対極する関係になってしまいました。
神は罪によって御自身と同じ価値観を共有出来なくなった人間と共にエデンの園で過ごすことは出来ません。皆さんは自分とまったく気の合わない人を隣の席に置いて勉強出来ますか?仕事が出来ますか?。会話の無い空間で、重苦しい空気の中で、耐えられますか?。ましてや自分とまったく気の合わない人と一緒に一つ屋根の下で暮らすことなんて出来ますか?結婚出来ますか?。だいたい気の合わない人とは結婚しないでしょう。最初は気が合って一緒になっても、途中で別れてしまう人もいます。まったく気の合わない人と、話が噛み合わない人と、一緒に暮らしたり仕事をしたりすることほど苦痛なものはありません。とてもじゃないけど一つの空間に居ることは出来ません。
神は御自身の価値観を共有出来なくなった人間と一緒にエデンの園で暮らすことは出来ません。また、人間も、神と共有出来ない価値観のまま神の世界であるエデンの園に居ることは出来ません。異なった価値観を持った者同士が同じ空間に居ることは出来ません。
エデンの園は神が人と交わるために物理的な地上の世界に設けられた「霊的な神の世界」「神の国」です。人はその「霊的な神の世界」「神の国」で神の価値観を共有する存在として創られました。エデンの園は神が美しいものを創り、人がそれを見て「美しいね」と言って感動する世界です。神が美味しいものを与えて、人が食べて「美味しいね」と喜ぶ世界です。
エデンの園は神が主人です。エデンの園の主人に従うことが出来なければ、園に居ることは出来ません。神の価値観を共有出来なければ、園から出て、自分の価値観で作った自分の世界で生きるしかありません。だから、神はアダムとエバをエデンの園から追い出されました。

創世記3:23
3:23 そこで神である【主】は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。

人間同士での「気が合う、気が合わない」というのは、お互いの霊的な価値観が合うか、合わないかの問題なのです。

夫婦喧嘩・その1
夫「俺の言うことが聞けなければこの家から出ていけ!!!」
妻「なに言ってんのよ!あんたこそこの家から出て行きなさいよ!!!」

夫婦の霊的な価値観が合わなければ、一つ屋根の下で一緒に暮らすことは出来ません。神と霊的な価値観が合わなければ、人がエデンの園に居ることは出来ません。新約聖書にはキリストを信じる者は天ではキリストの花嫁として迎えられることが記されています。キリストの花嫁になる人はキリストと同じ価値観でなければキリストの花嫁になることは出来ません。キリストの花嫁になる人(クリスチャン)はキリストの価値観を共有しながらキリストと一つになることです。
神がエデンの園で「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」と言われたように、聖霊によってイエス・キリストと一体になることです。それが、神の救いです。
「イエス・キリストを信じる」とは、イエス・キリストの価値観を以ってこの世を生きることです。

神は男のあばら骨の一つから女を造り、その女を男のところに連れてきて、「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」と言われました。「ふたりは一体となるのである。」とは、男と女が同じ価値観を共有しながら一つの家庭を作ることです。
「エデンの園における人間の自由意志とは?-1」で書きましたが、善悪の知識の木は神の価値観と対極にある木です。神は人が善悪の知識の木から取って食べた後に、「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。・・・」と言われました。
「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、」とは、「人が神になった」ということです。「人が神に変わって万物の主人となった。万物の主権者となった。」という意味です。現実に、現代では科学を装った進化論によって神を否定します。命すら、人間の都合の良いように遺伝子操作をしたり、中絶したりします。万物で人間が一番知能があり偉いと思っています。人間が自分たちの好き勝手なことをして神のごとく振る舞っています。
ですから、人が善悪の知識の木の実を食べたことによって、エデンの園には二人(神と人)の神が存在することになりました。人間は創造主なる活ける神と対峙するもう一人の神となりました。

国家の大統領は一人です。大統領が二人もいる国などありません。
会社の社長は一人です。社長が二人もいたら会社が混乱します。そんなことは絶対あり得ませんが。
学校の教室で、教壇に立つのは一人の先生です。一つの教室に二つの教壇があって二人の先生がそれぞれ授業を始めたら生徒は混乱します。一つの教室に一人の先生でなければ授業は成り立ちません。

エデンの園は一人の創造主なる神を主人とする場所です。だから神はアダムに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と厳命することによって、神が主人で、人は神に従う立場であることを明確にしました。命令するのは主人だけです。ところが人が善悪の知識の木の実を食べて人が神となったので、二人の神が存在してしまい二人の主人が存在するようになりました。だから、神はアダムとエバをエデンの園から追い出されました。
人は、自分たちの罪によってエデンの園から追い出され、神の価値観から外れて自己主張しながら自分たちの価値観で生きるようになりました。だからカインは神に反発し、弟アベルを殺しました。

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本文の聖書のことばは「聖書・新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会」から引用しています。
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2016年05月03日