エデンの園における人間の自由意志とは?-2

日本基督道場
2016年6月11日(土)
発行元 日本基督道場 徳恵禎信 Copyright©2014
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エデンの園における人間の自由意志とは?-2
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前回からの続きです。

私たち人間は、悪の選択も神が人間に与えた自由意志の中に在ると思っています。しかし、これは完全な誤りです。人間が神に背いて悪を選択することは、神が人間に与えた自由意志の範疇にはありません。

一般に、私たちはエデンの園に関する議論の中で、「悪いことを行う選択も、人が神に従わない選択も、神が人間に与えた自由意志の中に在る」という前提で、エデンの園を解釈しようとします。だから「神がエデンの園に善悪の知識の木を植えたのは、人間が神に従うか従わないかをテストするためである。」というおかしな解釈が出て来ます。そしてこのおかしな解釈が、キリスト教界の大勢を占めています。
そこで、「神がエデンの園に善悪の知識の木を植えたのは、人間が神に従うか従わないかをテストするためである。」という解釈について、考えてみましょう。(以降「人間テスト説」と記します。)
「人間テスト説」のおかしなところは、「神がエデンの園に善悪の知識の木を植えたのは、人間が神に従うか従わないかをテストするためである。」ということですから、そもそも、神が「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」と言って創られた人間が、自分の意志によって神に従わないという選択をする可能性が有る、ということです。つまり、アダムとエバが神によって創られた時点で、すでに人間そのものに神に従わない要素、因子が神の手によって人間の魂に埋め込まれていたことになります。はあ???これは明らかにおかしいでしょ。神が「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」と言って創られた人間を、なぜ、神に従わないように創る必要があるのでしょうか?。しかも、神は御自身が創られたすべてのものを見て、「見よ。それは非常に良かった。」のです。神が創られた「非常に良かった世界」に悪は存在しません。
神が人間を創る時にわざわざ御自身に従わない要素、因子を人間の魂に組み込んで人間を創られたとするなら、それこそ神による「自作自演」です。人間はサイコロと同じです。サイコロを振って、丁(神に従う)が出るか、半(神に従わない)が出るか、試しているのと同じです。「俺は丁に賭けた。もし、半が出たら、その時はしょうがない、俺の御子イエス・キリストで人間を救ってやろう」と言っているようなものです。
神は人間ではありません。そんなバカなことはしません。

前回、私が述べた神が人間に与えた「自由意志」とは、「神が与えた無限の善の中から、さらに自分が良いと思うものを選択する権利」です。それに対して人間テスト説の自由意志とは、「神が与えた善と悪のどちらかを選択する権利」です。お分かりのように、二つの解釈はまったく自由意志の意味が異なります。
一般に「自由意志」について議論すると、どうしても哲学的な難しい言葉を並べて分かったような分からないような抽象的なコメントになってしまうので、もう少し分かり易いように、人間をコンピュータに置き換えてお話しします。誤解のないように申し上げます。ここでは人間の自由意志についての「考え方」について分かり易く説明するために、人間をコンピュータに置き換えてみるだけのことです。

たとえば、みなさんがコンピュータのプログラムでrnd関数を使って1から100までの間のランダム(乱数)の一つの数値を出すプログラムを作ったとします。Enterキーを押すと、押すたびに1から100の間のランダムな一つの数値が出てくるプログラムです。よくサイコロゲームやジャンケンゲームで使われます。
さて、このプログラムを作ったみなさんは、自分がEnterキーを押して出て来る数値をズバリ!当てることが出来るでしょうか?まず、不可能に近いと思います。もちろん偶然に当たることはあるかもしれませんが・・・。これが続けて10回Enterキーを押して10回とも当てるとなると、確立的に不可能です。ただ、このプログラムを作ったみなさんが絶対分かっていることは、「Enterキーを何回押しても1から100以外の数値は絶対出てこない」ということです。1から100までのランダムの数値が出るようにプログラムしたのですから、当然です。もし、1から100以外の数値が出たなら、それはプログラムのミスか、プログラムにウィルスが混入したか、コンピュータ(ハードウェア)の故障ということになります。
では、プログラムされたこのコンピュータを人間に置き換えて、神がプログラムした天地創造に当てはめてみます。

神からすれば、神がEnterキーを押して人間(コンピュータ)の自由意志によって1から100の任意の数値一つを出してくれればなにも問題はありません。また、人間(コンピュータ)が1から100までのどの数字を選ぼうが、それは人間(コンピュータ)の自由です。自由意志を与えるというのは「相手の選択に干渉しない」ということです。ですから神はいちいち人間(コンピュータ)がどの数値を選ぶかなどと考えたり追及したりしません。しかし、もし、人間(コンピュータ)が1から100以外の数値を出したなら、これは神にとって大問題です。御自身のプログラムミスか、ウィルスが混入したか、人間(コンピュータ)が故障したかの、いずれかです。しかし神は御自身が創られた人間(コンピュータ)をご覧になって「見よ。それは非常に良かった。」のですから、人間(コンピュータ)にプログラムミスはありません。ハードウェアにも問題はありません。ということは、後はプログラムにウィルスが混入した、ということになります。
神が人間を創られて「見よ。それは非常に良かった。」のですから、人間というソフトもハードも正常に動作してなにも問題はありませんでした。何百兆回Enterキーを押しても1から100の一つの数値しか出て来ません。絶対1から100以外の数値が出ることなどあり得ないのです。ところがある日、突然、Enterキーを押したら、123(百二十三)という数値が出て来ました。神にすれば「おいおい、これはどうなっているんだよ」ということになります。

さて、神が人間を「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」と言って創られて、創られた人間を見て「見よ。それは非常に良かった。」のですから、人間が自ら神に背いて悪を選択する要素、因子など存在しません。神からすれば人間が自ら神の言葉に背いて悪を選択することなどあり得ないのです。先ほどのコンピュータのように、1から100以外の数値を出すことなど絶対あり得ないのです。ところが人間は神の言葉に背いて善悪の知識の木の実を食べてしまいました。コンピュータが123という数値を出して来ました。神は人間の異変に気がついてアダムとエバに、なぜ、善悪の知識の木から取って食べたかを問い質しました。なぜ、コンピュータが123というあり得ない数値を出したのかを調べました。その結果、アダムとエバが善悪の知識の木から取って食べた原因は、蛇(サタン)にあることを突き止めました。コンピュータがあり得ない123という数値を出してきた原因は、プログラムにウィルスが混入(侵入)したことが分かりました。ですから、神が最初に人間を創る過程で、人間が自らの自由意志で神に背くような要因、因子を組み込むことなど、ありません。アダムとエバが善悪の知識の木の実を取って食べたのは、自らの積極的な自由意志によって取って食べたのではありません。蛇に騙されて「食べてしまった」のです。故意に、確信的に取って食べたのではありません。蛇に騙された「過失」によって、取って、食べさせられたのです。自発的な「故意」によって善悪の知識の木の実を食べたのではありません。蛇の惑わしに起因する「過失」によって食べてしまったのです。
みなさん、もし、蛇が登場しなければ、果たしてアダムとエバは善悪の知識の木から取って食べたでしょうか?。私の答えは「絶対、取って食べることはありませんでした。」なぜなら、元々、人間に神に背く要素、因子など無かったからです。神は人間を1から100の数値を出すように創られたのです。人間は1から100の数値から、自分の好きな数値を選択して出すだけで良いのです。123という数値が出て来たのは、蛇が二人を騙した結果です。こんなこと書くと、「じゃあ、神は、なぜ、ファイアウォールを作ってウィルス対策をしなかったのだ」と、ツッコミを入れて来る人もいるでしょう。現実に、蛇(サタン)がエデンの園を徘徊していたのですから。ファイアウォールについては後日お話しします。

よく、「アダムとエバはなぜ神の言葉に背いて善悪の知識の木から取って食べたのか?」という議論で、必ず「二人が神に背いて堕落したから」といったコメントが見受けられます。
あの・・・アダムとエバは自ら積極的に堕落したわけではありません。
では、もし、あなたがエバだったら、「俺は絶対蛇の誘惑には乗らないぞ!」と断言出来るでしょうか?まずそんな人は人類には存在しないでしょう。もし、居たら、その人は「俺は生まれてから今まで罪を犯したことがないし、これからも死ぬまで絶対罪を犯さないぞ!」と宣言しているようなものです。ヨハネの福音書8章に記されている姦淫の女を責める人々に対してイエスが「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言われたのに対して、「俺は生まれた今まで罪を犯したことが無いぞ!これからも死ぬまで絶対罪など犯さないぞ!」と言って女に石を投げつけるような者です。
私がエバになっても、あなたがエバになっても、誰がエバになっても、結果は同じです。これはアダムとエバの個人的な問題ではありません。蛇(サタン)と人類の問題なのです。
アダムとエバは自らの自発性による「内部的要因」で善悪の知識の木の実を食べたのではありません。蛇の惑わしによる「外部的要因」で善悪の知識の木の実を「食べてしまった」のです。神がすべてを見て良しとされた世界に、悪なる蛇(サタン)が紛れ込んで来て、人間を罪に陥れたのです。ですから、もし、蛇が居なければ、神が創られた世界に悪は存在しません。アダムとエバが善悪の知識の木から取って食べることは、絶対ありませんでした。

次回に続く
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2016年06月11日